キャンナスパワー2012年4月


4月28日

4月17日から4月21日まで、石巻で活動させていただいたYです。

4月18日には、OTさんと共に、仮設住宅に設置した手すりの評価に廻りました。そこで、出会った

60才代後半の区長さん。共に仮設住宅で暮らす 高齢の父と叔父を気遣いながら、漁が再開した

ため、夕方から早朝まで船に乗るとのこと。私が看護師であることを知ると、ご自分の体調のことを

話始めました。

震災の時、大腸がんの手術後数日であったこと、今は、抗がん剤治療をしていて副作用で突然低

血圧になるため、船の上で症状が出たら心配。2日間の治療中で、今日の16時に船に乗るが、抗

がん剤が終えて針(ポート針)を抜いてから船に乗りたいと笑顔で話すシャツの下には、PCAポンプ

(抗がん剤を持続的に注入するポンプ)があった。ポンプの中身は、16時ぎりぎりに終わるであろう

量が残っていました。ご本人は、漁でも責任ある立場であるため、休むわけにはいかない。抗がん

剤の治療中は、汗も他人に触れないように気を付けなければならないから、これからの季節、孫が

抱けないこと。なついているのにさみしい。などなど、お話して下さいました。私が、病院で見てきた

患者さんたちとは、明らかに違う生活をされていました。

5日間という短い間でしたが、お茶っこや個別訪問とで、何人もの方のお話を聴く機会をいただきま

した。ただただ”聴く”。震災時の出来事を伺う時、返す言葉は見つかりません。個別訪問では、薬

の管理が大変なようで、定期的に廻るキャンナスのスタッフが、見守り・指導を行っていました。また、

キャンナス事務所にSOSを送ってきたまだ若い住民さん。長期滞在のキャンナススタッフを心から信

頼している様子が伺えました。ボランティアの域を越えているのではないかと思う対応を 日々キャン

ナスは行っているように感じました。 共に活動させていただいた7人のボランティアさんたちは、私の

息子と同じ年くらいの方が半数を占め、長期に滞在している人、何度も何度も訪れている人も多く、

若いエネルギーが、石巻を支えていることに、心が熱くなりました。そして、長期で滞在している彼に、

なぜここ(石巻)に?と問うと、「去年の震災の時、東北がこんなふうになってしまって、 すぐにでも

飛んできたい。なんとか力になりたい。って、 誰もが思った と思うんですよ。でも、いろんな事情

があって、来られないんだと思うんです。 俺は(若いから)、職場でも管理者でもないし、責任ある

立場でもない。 だから、来られたんです。」って、さらっと言いました。 ”誰もが 思っただろうか…

”確かに、私はそう思っていて、やっと来ることができたけれど… 彼の真っ直ぐで、そう信じて疑わ

ない力強い言葉に、日本はまだまだ大丈夫!!と思いました。また、「俺が、迷っていたとき、職場

の上司や仲間が ”ここでお前が行かなくてどうするんだよ。行かなくちゃおまえじゃない!” って、

背中を押してくれた。すごくいい環境で働かせてもらってた。」って言ってました。彼の職場の皆さん

も素晴らしい! 長くなりすみません。私はこれから 栃木県那須烏山市において 訪問看護ステー

ションを立ち上げます。山間地に位置する那須烏山市は、栃木県でも高齢化が進む 在宅医療の

空白地域といわれるところです。今回、キャンナスの活動で、究極の”傾聴”を学び、若者のパワー

に触れ、中堅看護師の自分探しの熱い思いも聴かせていただきました。これから 私は 那須烏山

市で頑張ります。 キャンナスのみなさま ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


4月26日

4月17日~25日まで活動させていただきました看護師のYです。
10月から、毎月行く度に季節の変化を感じるのを楽しみにしています。4~5日前までは寒い日が続い

ていましたが、一昨日より暖かくなり、桜が一気に満開になりました!塩害にも負けず立派な花を咲か

せたのを思うと、ただ「綺麗だな~。」と思う以上の感情が起こってきました。石巻で見るもの、聞くもの、

味わうもの(食いしん坊です)…すべてが意味のある、価値のあるものであり、地元にいては感じるこ

とのできない感情を体験させていただいていると思います。

今回もおちゃっこや戸別訪問を中心に活動させていただきました。ある在宅への戸別訪問に行く際、

浜でワカメの作業をしているご夫婦に会いました。その方とは10月の市の委託戸別調査時にお話しを

伺ったお宅の方で、久々の再開でした。ご訪問した際、漁再開に対する不安や金銭面の問題、保険

など2時間ほど辛い思いを語って下さいました。その時のご夫婦が、不安ながらも大変な苦労を乗り

越え、こうやってワカメ漁を仲間と再開でき、収穫に汗を流しているはとっても輝いていて終始笑顔で

した。また、公民館が避難所だった時代に訪問をしていたコーヒー店のご夫婦にも会いにいきました。

ご主人は80才を超えるお歳で、訪問をしていた頃は体調もあまり優れなかったことが多かったように

思います。しかし、12月末にコーヒー店を再開してマスターとして店に立つようになり、伺った時は顔

つきも姿勢もとても若々しく、コーヒーを沸かしている姿は手際良く鮮やかでした。元々笑顔の素敵な

マスターでしたが、ますます輝きを増していて、私の方が癒されて帰ってきました。このお二方だけで

なく、被災地で活動をし強く感じることは、人にとって『生き甲斐』や『やりがい』、『役割』ということが生

きる上での原動力になっている、ということです。
これが、「仕事」だけでなく、他にも「孫の世話をすること」だったり、「人とおしゃべりをすること」だった

り、「趣味のお裁縫」だったり…と様々です。しかし、一方で自分だけでは、震災で喪失、変化してしま

った『生き甲斐』『役割』を取り戻すのが難しいという方もいると思います。
おちゃっこに参加してくれた80代の女性。秋にこの浜に来た時は、ムードメーカー的存在で、おちゃっ

こでも周りの方を巻き込み良い笑顔を見せてくれていました。が、今回お会いした時の表情は固く、

うつむき加減…。変化に気付いたリハビリ野津君が話を聞くと、「最近、なんだか気分が落ち込む。

ぼんやりする。」と。震災前は、老人会の婦人代表をやっており、また、月1回、要支援以前の方を対

象とする生き甲斐デイサービスを楽しみにし、来る仲間達の盛り上げ役だったようです。しかし、震災

で今は老人会は解散し、生き甲斐デイサービスも終了してしまいました。元々はパワーのある方が

『役割』がなくなってしまったことで、閉じこもりがちになってしまう。こういった方々が再び自分らしさを

取り戻してキラキラ輝けるように…少しでもそのきっかけ作りができれば……と感じました。

今後、「おらほの家」解放が、人が集まり、楽しみややりがいを感じる場に結びつけられるよう、微力な

がら、協力させていただきたいです。

また震災から一年が経った今、無償でのボランティアの訪問が、返って住民さんに気を遣ってしまっ

たり、断れなかったりと、負担になっていることに改めて気付かされました。キャンナスの役割、必要と

されていることを常に意識しながら、長期スタッフを中心に日々話し合いが行われています。私も、

また来月参加させていただきますので、よろしくお願いします。
今回、一緒に活動させていただいたボランティアの方々、ありがとうございました。特に、一緒に戸別訪

問をさせていただいた諸先輩方の住民さんへの接し方や観察の視点など勉強になりました。


4月15日

キャンナス東北にて、石巻・牡鹿半島での支援活動を終えたSです

(鍼灸マッサージ師、健康運動指導士)。

はじめに約2ヶ月間の活動の中で、被災地でのマッサージ施術、車での送迎や移動、その他の支援

活動全てにおいて、安全かつ無事に終えられたことを報告致します。

下記に主たる活動内容とその日々の中で感じたこと、悲しかったこと、そして、これからのことをふま

えて、約2ヶ月間を振り返りたいと思います。

石巻での主たる活動
①半島部における孤独死や引きこもり予防のための戸別訪問と談話室を活用したお茶っこ健康相談

会の開催のお手伝い。
②宮城県塩釜で被災した友人の事業支援活動(医療保険を使った訪問マッサージ業)。
③現地石巻の温泉施設 「元気の湯」でのマッサージ委託業務。

『支えるつもりが…支えられての活動』

約2ヶ月の中で多くの方々との出会いがありました。今もなお応急仮設住宅で「不自由」な生活を強い

られている多くの住民さん、ご自身や身内も被災されながらも現地スタッフとして活動されている高橋

所長、山田葉子さん、事務の遠藤昭子さん、現地看護師の高田さん、復興地石巻の「今」を支えてい

る長期スタッフの佐々木さん、岸田さん、野津さん、そして、全国から集まった「心」ある短期ボランテ

ィアの皆さん、その多くの出会いの中で私自身が精神的に、身体的に支えられ過ごすことができた

2ヶ月間でした。その偶然の繋がりに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

『あの日から、もう一年…まだ一年…』

・前を少しづつ向きはじめた住民さんの言葉より~
「あの日から一年が過ぎて、ボランティアさんばかりに頼ってはいられない…そろそろ、自分たちの

「力」で生きていかないとね…」その生きる「力」を微力ながらも支えられたら…

・今もなお海を見れない住民さんの言葉より~
「あの日以来、浜に出たことはないよ…神様なんかいやしない…海が憎い…」とご家族を津波で亡く

された住民さんのやり場のない思いに、何度も言葉を失いかけました。私にできることは、ただただ一

緒に泣くことしかできませんでした。

『被災地石巻』から『故郷石巻』へ

私は石巻・牡鹿半島で懸命に生きようとしている多くの住民さんとのふれあいの中で、大きな気持ちの

変化がありました。それは、石巻が「被災地」から「故郷」へと思えたことです。

これからも「キャンナス」を通じて「故郷石巻」に帰る気持ちで、活動を続けていきたいと思います。


4月14日

皆様
「ポコアポコ」
一歩一歩という意味みたいです。住民さんから教えて頂きました。

キャンナス東北のリハビリ担当の野津です。
下の名前は裕二郎です。

関東は桜が満開から葉桜になってきていると聞いております。
石巻の桜はまだつぼみ。梅の花は徐々に咲いてきております。
徐々に温かい日が増えているような・・・。温かい風が桜前線と春の元気を運んできてくれているのかな。

本日の活動は、看護による戸別訪と、牡鹿にある『おらほの家』の開放日という事で、ご近所さんと鮎

川にある仮設住宅に住まわれている方の女性2名がおらほへ来られました。

おらほの家では、家で取れる山菜について教えて頂いたり、雑誌「毎日が発見」さんが読者から集め

て支援して頂いた毛糸と編み物本を使用して編み物をしたりとまったりと過ごしていきました。

お二人ともウン年ぶりに編み物をやる。と言いつつ棒針を持ってすらすらと編み始めていました。
住民さん同士やボランティアと交流して楽しい時間を過ごして頂けました。
僕は、教えてもらっていただけですが…(笑)しかし編み物って楽しい~。

一人また一人と来れる範囲で開放日に来て頂き、次回は作品を持ち寄って、それぞれの作品を見て

「上手いね~」と語り合い、また再来週!!そんな集まるのが楽しみになって頂けらるような開放日に

なれたら嬉しいなぁ~なんて感じております。

おらほに一人また一人と人が集まる。そこにコミュニティーが生まれます。やりがいや楽しみ、人との

交流が生まれ、
次は何しようと一緒に考え、気付いたら前を向いて歩く一つのキッカケになるかもしれません。
人が集まればそこに何かが生まれると信じて、継続して「おらほの家」開館していきます。

皆様ご支援・ご指導引き続き宜しくお願い致します。



4月10日

看護師のKです。
3月26日~4月3日までの一週間ほど、特別養護老人ホーム「春圃苑」にてボランティア活動を行って

きました。
前回は1年前の震災発生3週間後に医療チームとしてJapan Heart を通じて本吉町にある清涼院で

の活動を行ったため、今回も本吉町に戻って、何かできることがあれば・・・とずっと思っていたのと、

避難所で会った方々に再会できたらと思い、本吉町にこだわったところ、Cannus菅原健介様の紹介で

春圃苑での活動をアレンジしていただくことが出来ました、感謝でいっぱいです。
 
春圃苑ではもともとの入所者の方々に加え、震災後から現在も引き続き入所されている15名の方々

がいらっしゃいました。内容は看護課付けで、基本的には看護業務に携わりました。
看護課の皆様をはじめ、生活支援課、事務、栄養課、スタッフは皆明るくて親切な方ばかりでとても働

きやすかったです。
 春圃苑は気仙沼市本吉町にあり、震災時には避難所にもなりキャンナスの方々が6月ごろまでは来

ていたとのこと、春圃苑も自立してやってゆくとのことで、ボランティアも去年の6月以降はなしでやっ

てきたと、看護課長の三浦さんがおっしゃっていました。
ただ、来年度に向け看護師2名を募集し、1名しか入職しなかったようで、欠員1の状態でやってゆく

のは厳しいとのこと。どなたか春圃苑で就職を希望される方がいらっしゃいましたら、是非春圃苑のほ

うへ連絡してあげてください。
 
社会福祉法人 春圃会
■所在地 宮城県本吉郡本吉町中島358-3
■電話 0226-42-3100
 
入所者の皆様は元気で、体験記のコピーをくださった一雄さん、貝合わせの人形が付いたアクセサリ

ー作ってプレゼントしてくれたトキさん。いつもニコニコしているゆきゑさん。編み物を教えてくれたよ

しゑさん。「おねぇちゃん!カワイイネ」と訪室するたびに喜んで迎えてくれるトラオさん。
素敵なスタッフにも囲まれて、楽しく仕事が出来ました。
 
ただ、私が行った1週間は余震が多く、震度3から4のもので長い揺れもあったため、皆様少し不安に

なったりすることもあったようです。
 
震災後1年。
私が春圃苑で行った活動が実際にどこまで役に立ったかはわかりませんが、今後とも気仙沼本吉町

の方々たちとつながってゆければと考えています。 


4月4日

 

3月6日~27日まで活動しました看護師のYです。遅くなりましたが活動報告させていただきます。

前半では3.11を挟んで活動をしました。当日は地元団体主催の「祈りの灯り希望の灯り」という行事の救護班として参加しました。この3.11という日を、実際に石巻の地で住民さんと一緒にいることで、他の日付とは明らかに違う意味合いを持ったものであることを肌身に感じました。家族や友人と過ごしたいと思う方や一人でひっそりと過ごしたい方、慰霊や供養という言葉すら辛く感じる方…。主催代表者さんは、被災された方々が思い思いに集まり、一年の区切りとして、抱える想いを天高く送ることで新しい一歩を踏み出すきっかけになれば…被災者自信が自らの手で行うことを大切に、一年目の石巻にそっと寄り添うような行事になってくれれば
。と思いを話されていました。‘伝えられなかったありがとうを伝えたい’という想いの元、「大切な方への想いを乗せた鳩型バルーン」「明日への希望を空に届ける光のタワー」「花びらと桜で描く地上絵」が、地元団体の方を中心に行われました。私は作業の一部に参加させていただいたり救護班としてラウンドをしながら、この日の持つ重さを感じました。
この日の翌々日、震災で奥様を亡くされた方のお宅に訪問しました。3月11日前は震災の時の事を思い出して寝れないことがあったけど、一年たって何だか気持ちに整理が着いて少し楽になったよ、と話されていました。時間を経ながら少しずつ前に踏み出しているその姿を見て、私の方が心が熱くなってしまいました。そういった方の気持ちに寄り添い、少しでも支えになれるよう、活動を続けていけたら、と思います。

先月の活動でも感じたことですが、仮設の入居者と在宅の方との人間関係の溝が生じている部落が多いと感じました。ある在宅の方は「仮設の人にとっては私たちを見ると震災のことを思い出してしまうから会いたくないのよ。私たちは被災者じゃないから贅沢は言えないわ。」と。また「震災で(仮設と在宅の人の)心がバラバラになってしまった。こんな思いをするならうちも流されれば良かった」と。震災により変化してしまった人間関係、そのことに心が傷つき、大変辛い思いをしている方がいます。メディアでは、漁業再開や生活再建といった問題は多く取り上げられています。しかし、こういった心の問題や人間関係に苦しんでいる方が多い現状で、キャンナスの強みを活かし活動を継続していきたいです
ね。
今、牡鹿半島はワカメの収穫期です。ワカメ漁の人手不足を補うためのボランティア募集がありますが、人を雇ってお給料を払う努力をしている地元の経営者さんを考慮すると、人手不足だからといってボランティアにたくさん入ってもらえばいいという訳でもなく…。「今」だけを考えるのではなく、今後、地元の漁師さんが自分たちで漁業を続けていく事を考えて、支援の仕方も踏まえていかなくてはいけないんですね。  ワカメの仕事に出ることがこもりがちだった人にとってやりがいにもつながり生活リズムもとり戻してる方が多く、生き甲斐を持つことや役割を持つことの大切さを改めて感じました。。収穫に携わってる方は70才を超える方もいらっしゃいます。また「息子の世話ばっかなってら
れないから小遣い稼ぎでもやれることをやろうと思うの」と一人でシャコ漁の網を内職している70すぎのお母さんもいました。牡鹿に足を運ぶ度にパワフルに生きているご年配の方々にお会いでき、私が毎回パワーをもらって帰っています。


4月1日

 

現在、キャンナス東北にて石巻・牡鹿半島での支援活動を継続している佐藤隆一郎です(鍼灸マッサ

ージ師、健康運動指導士)。 
ここ半島部の応急仮設住宅は計21ヶ所、525世帯の方々が今だに不自由な生活を強いられていま

す。そして、この地域はもともと過疎化が進んでいる漁業集落群のため、市街地中心部に比べて高齢

者が非常に多い地域でもあります。
 
今後も「キャンナス」の継続的な支援活動として、孤独死や引きこもり予防のための戸別訪問や談話

室を活用したお茶っこ健康相談会の必要性は、震災から1年が過ぎても住民の方々から強く求めら

れている状況です。
 
ある日のお茶っこに参加された住民さんの言葉より…
 
「あの日から1年が過ぎて…これからはボランティアさんに頼ってばかりはいられないね…」
 「そろそろ…自分たちの『 力 』で生きていかないとね…」 
静かに語られた、その言葉一つ一つが、わたくしの心に鮮明に焼きつきました。
それぞれの関わりあいの中で、これからも、その生きる『 力 』を微力ながらも支えられるよう、残りわ

ずかとなった活動で応えていきたいと思います。