キャンナスパワー2012年3月


3月27日

 

震災から1年たちますが、メディアの情報も全地域を網羅していませんから、自分が行く石巻の近況

を今ひとつ想像つかないまま現地入りしました。
 
参加前は、震災から1年経て自分が行くことで足手とまいにならないか、とか、看護師でない自分が行

って何をできるのか、と考えることも多少ありました。
できることは何でもしたい、とにかく行ってみよう、という気持ちで飛び込みました。
私のような短期滞在をする仲間や、長期で活動をされている事務所の皆様方の心遣いのおかげで、

無事に活動を終えることができました。
今後も有志の参加が、継続することを願っております。
 
 石巻を離れてからは旅をしつつ、被災地支援の継続について考えを巡らせていました。地震からこ

の1年。 見聞きした状況に加え、自分で見て・聞いて・感じた被災地の現実には、改めて衝撃と悲し

みを受けました。 
産業復興や町並み再編など、これから生活再建に向けてするべきこと、ボランティアの需要もあるで

しょう。 さりとて、人の記憶の風化は速し。
私自身も、仕事をはじめたら今回のように休みをまとめて取るのは難しい。住んでいる大阪から、何か

復興支援できないだろうかと、2w考え続けました。
 身の回りでできる事といえば、復興支援商品を買うこともいいでしょうし、お取り寄せでも東北(に住所

のある会社)生産の商品にこだわるとか、何かしら東北の話題をブログへ書き込む、東北のニュース

を周囲で話すetc… 何かしらの形で、東北、復興、というキーワードを提示して人と関わることで、

私の周りだけでも、東北の復興を意識してもらえるようになればいい。
 
しばらくは遠く離れた大阪からになりますが、ほかにもアイディアが沸きましたら、私ができる限りのこ

とで、東北への後方支援を継続していきたいと考えています。
 
最後になりましたが、石巻事務所で一緒に活動したボランティアの皆様、現地スタッフの方々、長期ス

タッフの皆様、お世話になりました。 
冬明けまであと少し、お体気をつけて活動なさってください。


3月14日

 

石巻の近況について、お伝えさせて頂きます。
2月の初め頃から、3.11を迎えるにあたって、地元スタッフの方々を含めた石巻の住民の方々の気

持ちが、一年前に引き戻されてつらさ・苦しさが増している様子を日々強く感じていました。
せっかく眠れるようになってきた住民の方が、「また自分の妻が目の前で流されたことを思い出すこと

が多くなり、眠れなくなってきた。」と涙されるような状態が、多かれ少なかれ、住民の方ひとりひとり

の胸のうちに暗く重く、のしかかっていました。 
3.11は沢山の報道がなされ、全国の皆様が心を被災地に向けて下さいました。一年たって迎えた

3.11は、1人1人にとってそれぞれの意味がある、本当に重みのある日でした。
この一年という節目は、被災地にとって本当に点のような通過点だと思います。

現実とこれから向き合っていかなくてはならないことが、沢山あります。ずっと緊張と混乱の中で過ご

されてきた方々が、ふと考えるとき、不安や悲しみにのまれてしまうことがないように。そして、キャン

ナス東北の活動において、永続的にできる形・地元から求められる形とは何なのか、今後を皆で考え

ていきたいと思っています。 

私は一年前、何もできずに泣いて3月4月を過ごしました。地元である宮城に戻ることができている今、

小さな自分に向き合いつつ、日々いっぱいいっぱいになりながらではありますが、代表はじめとする本

部の方々、長期スタッフ、ボランティアの方々に本当に支えられていると感じます。

1か月後、数か月後、一年後…と、徐々に良い報告ができていけますように、石巻から発信していきます!


3月8日

 

P-CATのコーディネーターHさんよりお礼のメールが送られてきましたので
転送させて頂きます。

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こんにちは。お陰さまでつつがなくMスタッフ慰安研修旅行がおわりました!
今からT大のカンファレンスに出るので、勤務内容は又改めてメイルしますが、キャンナススタッフのと

れたての気持ちをお届けします。

今回日本プライマリケア連合学会支援プロジェクトPCATの主催したM病院スタッフ研修旅行に際して、

通常のスタッフが少なくなる病院の後方支援のためキャンナス災害ボランティアナースが6人来てく

れました。それぞれ、外来、老年期、消化器、オールマイティなど幅広いスペシャリティをお持ちの方

が計5日間にわたり24時間勤務に当たってくれました。

任期最後の夜にそれぞれの気仙沼への思いをまとめてくれました。

A,Bさんは以前に気仙沼市民会館に支援に入られた経験があり、約1年後の気仙沼に戻る機会にな

ったとのことです。今日は休日診療体制で落ち着いていたので、交代で気仙沼市街まで視察に行き、

気仙沼市民会館の館長さんや、個人的なつながりの強かった地域の方と再会できた思い出深い一日

となりました。

Aさん
昨年3月後半から2週間にわたり被災者の方と生活を共にしながら、環境整備や生活行動介助、診察介助をしていました。いつか気仙沼を再訪したいと思っていて、11月市民会館閉鎖になる前に行けなかったのが心残りだったので、今回が好機になりました。本吉病院のことは着任まであまりよく知らなかったのですが、1番感じたのは人の温かさでした。患者、医者、看護師、スタッフが人間味があるとしみじみ思いました。

Bさん
昨年8月に1週間環境整備や傾聴を通じて支援をしました。自らも被災者にも拘わらず現在も物資配給ボランティアをされている方のお身内をお世話していた経緯がありその方を通じて市民会館でつながりの強かった現地の方と再会できました。市民会館の館長さんは昨年出会った時、被害に拘わらず会館で成人式を開くことが悲願だったのですが実現することができ、定年前の最後の1年に大きな思い出を作ることができました。

Cさん
被災地に来たいという思いはあったがなかなか来られず今日まで来ました。けれども、キャンナスについても目的や組織についての予備知識はなかったので、何をしたらいいのかという不安が強かったです。他のスタッフの災害支援経験の話を聞いて圧倒された感じがしましたが一方で魅力を感じました。少なくない患者さんが「もうじき一年が経つ」という言葉を問診時良くしたのが印象的でした。この言葉が地域の住民の方の不安を表しているような気がしました。

Dさん
いろいろな科の経験があったので、様々な疾病マップにうまく対応できたと思います。今まで色々見聞してきたが実際自分が経験するとイメージと全く違いました。過疎医療の現実を初めて目のあたりにしたように思います。
自分の職場は協力的で快く送り出してくれて有り難かったが、初期に能力のある看護師がもっといければよかったのにと思います。今後の災害に備えて看護師を派遣するシステムの構築が望まれます。

自らが被災したにも拘わらず精力的に支援物資のコーディネートをしているMさんからキャンナスへのメッセージです。赤岩巻沢市営テニスコート場仮設住宅は50数世帯中30数世帯独居という仮設住宅です。キャンナスが定期訪問してくれているので住民の健康が守れてる基礎作りができたことに感謝しています。公道まで急な斜面を15分も歩かなければならないので、何とか交通の便を確保して住民が市民生活を営めるようにしたいと考えています。引き続きのサポートをお願いいたしします。



3月8日

 

ボランティアに参加させて頂いたIです。
大変遅くなりましたが、ボランティアに参加させて頂いた感想を書き留めておきたいと思います。

3日間ということでしたが大変勉強になりました。また、考えさせられることが多々ありました。
震災

当初も今も米国にいますが、当初私は母国でなにがあったのか?なにができるのか?と考えていま

した。
米国に殴り込みに大学院へ来たこともあり、寄付する資金もないので、周りの商店街の人たちや市に

掛け合ってTシャツを作りその販売料金で寄付を送ることしかできず、歯痒さがありました。
アメリカに関わらず、諸外国にいる日本人の方々は同じような想いをされた方がたくさんいらっしゃっ

たのではないかと思います。

そのような状況下、年末に帰国した際にキャンナス様のお力添えを頂き3日間ボランティアをさせて頂

けた事改めてこの場で御礼申し上げます。

折角ですの、皆様が現地でご活躍している中、海外からの支援を少し紹介したいと思います。
私は

ピッツバーグに住んでいますが、実はピッツバーグ市は全面協力の声明文を議会が発表し日本への

支援をしています。
当時、ピッツバーグ日本人協会の理事をしていたこともあり、議会に赴き、これの声明文を頂戴しました。
テレビを前に謝辞を述べて録音されているのが残っております。述べた後に黒人男性から包容されて

我が国の安全と心配で涙を流されていました。
もちろん一般の議会を傍聴しにいらっしゃった方です。
このように世界各地で日本を心配し大きな支援を頂いています。そのブログです。
http://ameblo.jp/pihpilatespt/entry-10839390227.html

現地にいらっしゃる方も、私自身もまだ世界からの支援がどの程度あるのか理解していないと思いま

す。台湾に至っては200億円もの支援を頂いています。

現地に長く入れない自分がここでこのようなことを書く事が適切かどうかわかりませんが、海外にいる

一介の日本人として日本の現状を世界に示し、感謝を示す時期なのではないかとボランティアを通じ

て感じました。
また、皆様がこつことやってきた医療的、人間的、福祉的な方法論をまとめ、いつでも起こる震災に備

えまとめる時期なのではないかとも感じました。

もちろん、現場に行くとまだまだ目の前の人、状況に対応が必要なことは十分に理解しております。
しかし、日本人として世界に感謝を伝えたいと真摯に感じております。

少しずつ記録を残し、海外へ感謝と現状を伝える。
これが私の貢献出来る方法だとボランティアで感じました。

今後これを進めて行こうと考えています。
現地で頑張られている皆さんのお力添えが不可欠ですのでお力添えの程お願い致します。

理学療法士をしていますので、現在のところ世界理学療法協会へのニュースレターとし、震災から現在というテーマで寄稿したいと考えています。
また、アジア理学療法士学会、世界理学療法士学会がありますのでそこでも発表したいと考えています。

現在は理学療法関連で思い当たるところを上げましたが、もしも看護、作業療法など他の医療職で世界に感謝を伝えたいけど英語が…。
という方がいらっしゃいましたらご連絡を頂ければ微力ながらお手伝いさせて頂けたらと思います。

また、職種に関係なく記録は残して行くことが大切だと考え、協会を作ろうと考えています。
その基盤にするべきホームページはhttp://wcdr.jimdo.com/です。まだまだ情報不足ですが、これから少しずつ行って行こうと思います。


3月6日

 

キャンナス石巻の山田でございます。

3月3日のお雛様当日、牡鹿半島の東浜地区の方々が
この一年、この地区(牧浜や、狐崎、鹿立浜、富貴浦等)へ
支援をして頂いた方々に、自分たちで養殖した牡蠣やワカメを
御馳走したいと、お声をかけて頂き、キャンナスもご招待されました。

婦人部の方が牡蠣ご飯やお赤飯、牡蠣汁にワカメのおひたしを
作って下さっていたり、青年部の方々が外でたくさんの焼き牡蠣を
作って下さったりと、大変美味しく頂いてきました。

又、ステージでは、スポ少の子供たちへ芦屋のスポ少(ごめんなさい。
お名前が聞き取れなかったです)から、新しいユニフォームの贈呈式があったり、
元プロ野球の選手のサインボールや現役選手のサイン等々がプレゼント
されてました。子供達はもちろん、保護者の方々がとても喜んでいました。

被災後、本当に大変な思いでこの日を迎えられたと思います。

また、各地域で震災を免れた獅子舞を使っての獅子ふりも
地区ごとに披露して頂きました。
残念ながら鹿立地区のは津波で流されたので、富貴浦との合同で
舞ってました。

まだまだ大変なこの時期に、自分たちの出来ることで感謝の気持ちを
伝えたいと、計画を立て実行に移された東浜地区の皆さん、
本当に楽しい時間をありがとうございました。


3月5日

 

3月3日は東浜復興祭(牧浜仮設や狐崎のある地域)に参加させていただきました。
寒い中、朝からお母さんたちが剥いてくれた自慢の牡蠣を使ったお料理をお腹いっぱいごちそうにな

り、集落ごとに異なる獅子舞いの踊りを見て楽しませていただきました。
東浜には4つの集落があるのですが、親戚が多かったり行事ごとに協力しあったりと交流が多くて和

気あいあいと活気に溢れたお祭りでした。

今日は気仙沼にある牧沢テニスコート内の仮設に行ってきました。ここは不便な立地に加え、なかな

か支援の行き届かなかった場所だったのですが、岸田さんをはじめ様々な方が情報発信をして支援

の手が集まるようになったそうです。
新しくできた集会所はとても広く、住民さんがミシンを使って手仕事をしたり、お茶を飲んだりと憩いの

場になっているようでした。

中央公民館に避難されていた長嶋さんのお店(笠屋というお菓子屋さん)にお菓子を作るための機械が

搬入されました。「いつからできるかはまだわからない」とおっしゃっていたのですが、私が公民館にい

た8月ごろはお店を再開するのは難しいとおっしゃって沈んでいることが多かったので、再開の目処が

立って本当によかったです。

同じく中央公民館に避難されていた増子さんのコーヒーショップむぎも去年の年末から再開されてい

るので、今回の滞在中にまたお邪魔できたらと思っています。


3月5日

 

3月5日14時~湊中学のソーランがありました。

教頭先生から『できれば子供たちの元気な姿を見て欲しい』とお声がけ頂いていたので、Sと私で行っ

て来ました。

校長先生、教頭先生から、「皆様にありがとうとお伝えください」と、特に教頭先生は、「健介さんと真鍋

さん、キャンナスさんのおかげで、今年もソーランを踊る事が出来ました。本当にありがとうございまし

た。」何度も繰り返し言っていました。

ソーランが始まると、2年生は威勢よく、いきいきと踊っていました。
その姿を写真に撮りながら、私は目を潤ませていました・・・